お金の無い未来社会

A  Resource Based Economy

資源ベース経済とは

(1)貨幣経済の撤廃 (2)地球資源世界共有化 (3)政治家撤廃 (4)AI・コンピュータ判断式導入


地球上の資源を世界が一体共同体となり、全人類の共有財産と定め資源世界共有化実現を目指し、世界地球資源管理局の設立提案

 

 あらゆる地域に存在する資源の埋蔵量は常にモニタリングされ、採掘量と生産量が管理される。

 その資源は全ての人間の生活、社会の営みの中で、必要に応じ生産され、すべての物モノが、全ての人間に行き渡る、そしてすべてがプライスタグ値札の無い、無償社会システム。

それは、お金を必要としない、通貨が消滅する時代でもある。

 

 社会の営みに必要なモノは、すべて資源から作られる。モノは資源より始まるとも言える。その有限である資源を、お金と利益の為に浪費する現代社会の愚かさに目を向け、賢く資源を管理する必要性を訴える。未来は資源と最新テクノロジーが融合し、自然と人間が共生する社会システムが資源ベース経済である。

 

人間が最も大切だと信じてきた、モノの所有から共有の時代へと社会の大転換を意味する。住居、食料、衣料、教育、医療、交通手段、電化製品等。全ての生活必需品は無償となる。

 

  労働力はボランティアによって運営される。人々は週の半分はボランティアで働き、残りの半分は自由な時間(研究や習得も含む)を過ごす。ここでいう働く意味は、様々な分野の研究活動、特殊な技術開発、医師や看護婦、教師の養成から特殊分野の人材育成、漁業、農業、教育、サービス業すべての社会営みの作業をいう。

 

 自分がやりたい分野を自由に選び、修得して行く。趣味の分野を更に伸ばして行く。

 これらも全てをボランティア活動と呼ぶ。

 

 何をしたらいいか分からない人は、ボランティア リクルートセンターで当てがわれた仕事をこなす。殆どの仕事はAIやロボットがこなす時代に向けた労働システム。

 

 資源の採掘から、物の製造生産、配給等、すべてがプライスタグ値札の無い、ボランテイア活動で運営される社会システムを目指すもの。

 

  繰り返して起こる戦争や、政治家、企業の腐敗や官僚の汚職、貧富の格差、飢餓等、 

これらが何故起こるのか?

 

第1に、資源の奪い合いによる戦争。

 

第2に、戦争は人間の権力と強欲の為に起こる。

 

第3に、この人間の本能欲は何で満たされるのか?それはお金である。

 

第4に、なぜ人間はお金が欲しいのか? それは自分が欲しいという欲望を満たすモノを手に入れる為である。

 

第5に、人が必要と思う欲しいモノが誰でも手に入るとしたら。。人は働かなくなるのだろうか?人間とは自分がやりたい仕事、或いは人の役に立つことなら更に喜びを感じ、やり甲斐を感じるものです。何もしないでブラブラしている事ほどの苦痛はありません。ただ自分が、やりたくない仕事をお金の為、ローンやクレジットカードの支払いの為、精神ストレスや心の余裕を無くし、イヤになるだけ。やりがいを見つけた人間ほど輝いているものはない。

 

第6に、現代の進歩したテクノロジーの生産能力は、世界中の人々に、必要なモノを全てに分け与えても、十分過ぎるほどのモノが出来る事に注目すべきである。


お金とは

一厘 明治3年(1870年)

半銭 明治3年(1870年)

5円札 明治5年(1872年)明治通宝

一圓 明治7年(1874年)

5円札 明治21年(1888年)菅原道真像

10円札 明治23年(1980年)和気清麻呂像

10円札 昭和21年(1946年)国会議事堂像

50円札 昭和26年(1951年)高橋是清像

 

 


日銀(日本の銀行界の上に立つトップ。政府もここからお金を借ります)は近年、物価上昇率を2%目標としたが、景気が思うように伸びず、インフレ目標を達成できなくて困った!と頭を抱える。だがこれって、何のために物価を上げて私達の生活を苦しめるの? ハテナ?です。

 

〈答え〉物価が上れば、国も、企業も、人々も手元のお金が段々足りなくなるのは当然。だから銀行からお金を借りる事になる。お金を貸し続ける事で銀行事業が成り立つのです。

貸し出すお金(マネーサプライという)は造幣されても、借りた人が銀行に払うべき利息分は、マネーサプライとして市場に出回った中には入っていない、返済する利息分が世の中で常に不足する結果となる。

 

物価上昇になる原理は、モノを一万個作る。予想以上に好調で気を良くして再生産。でも必要としてる人々に、そのモノが行き渡り、頭打ちになれば、売れ行きがストップ。これは大変!ここでストップされたら我が社が危うい。そこで新製品登場!去年のモデルはもう古いと思わせる宣伝で、大衆心理をつく。新たな製品は前より高くなる。更に意図的老朽化を図り、製品をどんどん消費させ買い変えさせる。これを今の世は経済成長という。この連鎖作用で物価は上がり、人は給料の値上げを要求。会社は人件費でコストが上がる、或いは材料の原価が上げる、ゆえに利益を出す為に製品をさらに値上げする。このサイクルで経済は回ってると言える。だから経済指数といっても、年々お金を増やし続けるので、どんなことがあろうとも長い目で見れば指数は上がる一方。インフレだ、デフレだと言っても一時的な波の揺らぎに過ぎない。

物価上昇と、マネーサプライ時の貸し出し金利分不足で、更に市場ではお金が不足する為、社会は常に銀行に頼る事となる。では銀行が悪いのか? そうではなく、キャピタリズムとバンキング システムの機能が限界に来つつあると言う事である。 

 

ほんの100数十年前には数百円から数千円で家が立った事を考えたら、なるほどと、うなずける。当時の民衆は銭(せん)が身近なお金。1円は高い価値貨幣だった。

 

注〕明治時代(1870年代ごろ)の貨幣の価値。

明治時代の1円は今の約2万円位と言われる。1円は100銭、その下の厘(りん)は1銭の10分の一にあたる。1厘は10毛となる。(明治の初期と後期では貨幣価値に違いがある)

 

 明治31年ごろエリート銀行員(高給取り)の給料が月35円。 小学校の教員が月8円だった。 家族4人が200円で1年間暮らせたと言う。

 

明治6年白米10キロが31銭。(銭とは一円以下の単位) 

 

明治10年ごろは中流家庭の生活費が月20~30円。 当時から見ると、約2万倍以上物価が上がっている事になる!ワーォ! 

 

  江戸時代が終わり明治に入ると西洋式の経済体制が導入され、現在の通貨システムの基礎が作られた。銭(せん)や厘(りん)が庶民の中心貨幣で、円は庶民の生活とは程遠い、高い価値のお金でしたが、今では5円や100円では飴玉も買えない。

 

 非常に計算能力に優れた人種が生み出した銀行と社会のシステム。資本主義経済の王朝は、近い将来自然破壊が更に進み、時代に適合せず自然崩壊して行くだろうと予想される。

 

 ジャックフレスコは、この資源ベース経済(リソースベースエコノミー)が永遠に続く完璧な社会システムとは言わない。何故なら世界は常に進化し続けている。いつか又新たな社会システムが必要となる時が来ると。。。世の中も生物も常に進化し続けている。社会システムも同じであると。

過去は戻らないが、未来は必ず来る!